豆知識

【ルーツ】日本の風景画と呼ばれるものは、いったい何からどう始まったのか? 日本の風景画の始まりとは?

 

こんにちは!nagaです。
今回は、日本の風景画と呼ばれるものは、いったい何からどう始まったのか?
日本の風景画の始まりとは?】ということについて
お話ししていこうと思います。

 

私も絵の中では、日本の風景画が1番好きなのですが
どうやって日本の風景画って生まれたのかな
ということは、今まで全く知らなかったし
知ろうとも思わなかったので

 

これから風景画を描いていく上でも、
ルーツや起源なども、少しずつ勉強していくことも
必要かなと思ったので、
そのことについて、詳しくお話ししていこうと思います。

 

( ´ ▽ ` )ノ

 

日本の風景画の始まり。風景画とはそもそもなんなのか?

 

 

日本における風景画とは、西洋から入ってきた
自然の模倣(写実的)という西洋画の考えを
基本として、生まれたものになります。

 

風景画が生まれる前、日本には
狩野派・土佐派・丸山派・四条派・・・などの
さまざまな画統(絵の流派のようなもの)
伝統絵画と呼ばれるものがありましたが
それを総称して日本画と呼ばれているものがありました。

 

今でも茶道や花道にもありますよね?
例えば、小原流・池坊・草月流・裏千家・表千家・・・とか
大昔は絵にもこの流派がありました。

 

そしてもう一つ、中国から入ってきたといわれている
山水画というものもありました。
山水画は、西洋画の写実的(見たそのまま)という考えとは逆に
自分の頭の中で考えたり、思い描いた理想郷(想像しているもの)

 

山や水、樹石人物(自然物)といった素材を組み合わせて
描いたものが山水画と呼ばれるもので、
この日本画、山水画とよばれるものが
風景画が生まれる前に日本に存在していました。

 

で、日本に初めて風景画らしき風合いが見られ始めたのが
江戸時代中期、小田野直武の描いた「日本風景図」といわれています。
なぜか?というと、当時の画家達は先ほどもお話ししたように

 

日本にもともと存在していたであろう
日本画と中国から入ってきたといわれている山水画
この二つの画風で描かれたものがほとんどでしたが

 

この小田野直武が描いた「日本風景図」という絵には
日本画の伝統絵画という風合いを使って描いたものでもなく
山水画の理想郷や樹石人物といった素材を使って描いたものでもなく
西洋画の基本である、現実のままを写し描き、
さらに、西洋画としては切り離せない
遠近法を使って描かれていたからです。

 

この小田野直武という人が、
どうやって日本の風景画という部分を生み出していったのか
ということを詳しく解説していこうと思います。

 

日本の風景画の始まり。小田野直武とは?

 

 

小田野直武は、武家の家に生まれたため、
武家の習いとして書画をたしなんでいた直武は
子供の頃から絵の才能に恵まれ、とてもうまかったので
藩のおかかえだった武田円碩(たけだえんせき)
という狩野派の絵師から絵を習い始めました。

 

直武は、当時17歳の時に初めて絵の依頼を受け
絵馬を制作していますが、17歳で絵を依頼されるなんて
周りの大人達からも、その才能と腕を認められて
いたのでしょうね。いつの時代もすごい人はいるもんですね。

 

その時に直武が描いたというものが
「大威徳明王図」という絵馬です。

 

画像は載せられないので
検索してぜひ見てほしいのですが
とても17歳とは思えない明王図の迫力なんですよ。
どれだけ描く練習をしたんでしょうね。
当時は紙に代わる絹布や、顔料も貴重だったと思いますから
きっと日々真剣に向き合っていたのでしょうね。
( ˘ω˘ )

 

のちに、この直武はあの有名な「解体新書」の刊行協力や
日本初の発電機「エレキテル」を作った
平賀源内と出会います。

 

源内が46歳の時、直武がいる秋田藩に
鉱山開発のために源内は藩から招かれました。
源内は医者でしたが、発明の才能に富み
医学だけではなく、さまざまな海外文化や事情を取り入れ
絵も学んでいたため、日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ
などともいわれていますが、その時に直武は源内から
西洋画法を習ったのではともいわれていますが、

 

藩主の佐竹曙山(さたけしょざん)も絵が好きで自らも描いていたことから
海外から入ってきた新しい西洋画法を
自分も学びたかったために、絵の才能が秀でていた直武を
江戸へ派遣し、西洋画法を学ばせ、
のちに曙山に教えるためだったのではともされています。

 

そうですよね。藩主ですから、
昔は年上の人が、自ら若者に教えてくださいとは言えなかった
だろうし、お偉えさんですから、気軽にあちこち出歩けなかった
こともあるのでしょうね。

 

直武が江戸へ派遣された時、源内と交流のあった
杉田玄白らは「解体新書」を制作中でした。
解体新書は医学書ですから、精密な解剖図などの挿絵を描いて
載せなければなりません。ですが、当時はそのように
緻密で細かい絵を描ける画家はほとんどいませんでした。

 

そこで、源内から西洋画技法(遠近法など)に詳しく
細かく細密に描くことができる小田野直武を源内が紹介し
抜擢され、「解体新書」を刊行することができたそうです。

 

しかも、それが直武が江戸に上京してきてから
わずかたったの8ヶ月後のことだったといわれていますから
本当に絵に関して、秀でた人だったことが分かりますよね。

 

その後も直武は、さまざまな西洋画技法を学んでいきます。
直武は、長崎に来航した中国人の画家、沈南蘋(しんなんぴん)
による、写実的な画風に大きな影響を受け、
「秋田蘭画」という画風を生み出します。

 

秋田蘭画は、秋田で生まれたから秋田となったわけではありません。
秋田蘭画は江戸(東京)で生まれています。
この秋田蘭画についての特徴なども詳しく
解説していこうと思います。

 

日本の風景画の始まり。秋田蘭画

 

 

秋田蘭画は秋田藩士らが描いた、阿蘭陀(オランダ)風似の絵画
ということから秋田蘭画という名前になっています。
なので、秋田で発祥したという意味ではありません。

 

 

秋田蘭画は西洋の技法と、日本的な画材を使用した
和洋折衷が合わさった絵画です。
今でいう、絵を描くキャンバスこそ
日本画や山水画で用いるような絹布などを
使って描いていましたが、

 

風景や静物、技法では陰影法や空気遠近法などを取り入れ
この頃から舶載顔料(海外から船で運ばれてきた顔料)であった
プルシアンブルーを取り入れて描かれるようになり、空や空気、水は青い
という概念が初めて画家達の間で認識し始められました。

 

私も調べるまでは、空なんて今も昔も
青かっただろうし、日本には「本藍」や植物の「つゆ草」
という青色もあって
大昔から使っていたのだろうと
思っていましたが、このプルシアンブルーのように
色鮮やかな青色ではなかったので

 

本格的に青が多様されて使われるようになったのは
海外から入ってきたこのプルシアンブルーの顔料がきっかけ
だったんですね。面白いものです。

 

ですが直武は32歳で亡くなってしまいます。
もともと病弱だったという説もあるそうですが
死因や理由は不明です。そのほかの秋田蘭画の創始に
関わった主要人物も相次いでこの世を去ります。

 

この時、直武が江戸へ上京してきてからわずか
たったの7年間で、後継者のいなかった秋田蘭画
は廃れてしまいます。ですが、直武らから秋田蘭画を
学んでいたであろう後進の画家達がその伝統を受け継ぎ

 

そこから銅版画、油絵、浮世絵など新たな絵の
ジャンルを次々に切り開いていきました。
のちに、日本の風景画の始まりは、葛飾北斎の浮世絵
「富嶽三十六景」が始まったといわれていますが
実はその前、この「秋田蘭画」が日本の風景画の
始まりだったんですね。

 

私も浮世絵が日本の風景画の前身だと思っていましたが
実は全く違って、この小田野直武という人物が
いなければ、今の日本の風景画は存在していなかったかも
しれませんね。

 

その後、秋田蘭画は20世紀以降、昭和になるまで
注目を浴びることはありませんでしたが、
日本画家の平福百穂(ひらふくひゃくすい)によって
再び注目され始め、秋田蘭画というものが知られるようになりました。

 

今回のまとめ

 

 

今回は、日本の風景画と呼ばれるものは、いったい何からどう始まったのか?
日本の風景画の始まりとは?】ということについて
お話ししてきました。

 

日本における風景画とは、西洋から入ってきた
自然の模倣(写実的)という西洋画の考えを
基本として、生まれたもので、

日本に風景画が生まれる前には
狩野派・土佐派・丸山派・四条派・・・などの
さまざまな画統(絵の流派のようなもの)
伝統絵画と呼ばれるものがあり
それを総称して日本画と呼ばれているものがあったということ。

 

 

もう一つは、中国から入ってきたといわれている山水画
というものがあって、
山水画は、西洋画の写実的(見たそのまま)という考えとは逆に
自分の頭の中で考えたり、思い描いた理想郷(想像しているもの)
山や水、樹石人物(自然物)といった素材を組み合わせて描いたものが
山水画
と呼ばれるもので、

この日本画、山水画とよばれるものが
風景画が生まれる前に日本に存在していたということ。

 

日本に初めて風景画らしき風合いが見られ始めたのが
江戸時代中期、小田野直武の描いた「日本風景図」といわれていて

 

この小田野直武が描いた「日本風景図」という絵には
日本画の伝統絵画という風合いを使って描いたものでもなく
山水画の理想郷や樹石人物といった素材を使って描いたものでもなく
西洋画の基本である、現実のままを写し描き、
さらに、西洋画としては切り離せない
遠近法を使って描かれていたものということ。

 

直武は、さまざまな西洋画技法を学び
長崎に来航した中国人の画家、沈南蘋(しんなんぴん)
による、写実的な画風に大きな影響を受け、
「秋田蘭画」という画風を生み出し

 

その後直武らの死後、直武らから秋田蘭画を
学んでいたであろう後進の画家達がその伝統を受け継ぎ
そこから銅版画、油絵、浮世絵など新たな絵のジャンルを次々に切り開かれ、
のちに、日本の風景画の始まりは、葛飾北斎の浮世絵
「富嶽三十六景」が始まったといわれているが
実はその前、この「秋田蘭画」が日本の風景画の
始まりだったということでした。

 

 

風景画は海外から入ってきたものと
簡単にいってしまいがちですが、
こんなに歴史の教科書に出てくるような人物達と
深く関わっていたとは、思いもしなかったので
とてもいい機会になりましたし、新鮮味を感じました。

 

小野田直武の描いた秋田蘭画を下記の秋田県立近代美術館
のリンクから実際に見ることができるので
ぜひ見てみてくださいね。

 

ではまた次回!
( ´ ▽ ` )ノ

 

↓↓↓↓↓↓

小田野直武の秋田蘭画へ進む(秋田県立近代美術館)