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【植物画】風景画にはかかせない植物。植物画を極めた植物学の父 牧野富太郎とは?

こんにちは!nagaです。
お正月もあっという間にすぎ
もう大寒。。。年々、日が過ぎるのを
早く感じる今日この頃です。
( ;∀;)


今回は【植物画】
風景画にはかかせない植物。
植物画を極めた植物学の父
牧野富太郎とは?

ということについて
お話ししていこうと思います。

私も風景画を描いているので
木々や植物・花などを描くのは
必然的になっているのですが
はっきりいうとあまり
得意ではありません。

なので、今も努力中
なのですが、自然物は
一つとして同じ形や色をしている
わけではないく

その時の状況や
環境に合わせて育つので
生え方や咲き方、色や形など
一つ一つ違います。

それをいかに自然に
生えているように描くかということが
とても難しく感じたりします。

ですがこれから紹介する
植物学の父と呼ばれた
牧野富太郎さんは
それを難なくこなし

まるで描いた紙の上で
植物が実際に
咲き誇っているかのように
とても滑らかで
自然な線で描いています。

牧野さんは画家ではなく
植物学の学者さんですが
植物画(細密画)の父でもあるように
私は思います。
それぐらい
細密に植物の全てを描いています。

この牧野富太郎さんが
どうしてこの、植物画を描くことに
なっていったのかということを
詳しくお話ししていこうと思いますので
ぜひ、参考にしてみてください。

風景や植物を描く
ヒントを何かつかめるかもしれませんよ
ではいきましょう!

( ´ ▽ ` )ノ

風景画を引き立てる植物。
植物画が天才的に

うまかった牧野富太郎とは?

牧野富太郎さんは
先ほどもお話ししたように
画家ではなく
高知県佐川町に生まれた
植物学の学者さんです。

この牧野さんが生まれた
佐川町という場所は昔
山内家特侍の家老の領地で
主権者でもあったため

武家の由緒正しい
家々がたくさんあり
「佐川山分学者あり」
(佐川の山の中には学者がたくさんいる)

と言われるほど
多くの多大な人物が輩出されました。

牧野さんの家柄も
代々酒屋を営んでいて
とても裕福な家柄で
そこの一人息子として産まれましたが

父を4歳の時に亡くし
母を6歳の時に亡くし
祖父を7歳の時に亡くし
牧野さんはその後
祖母に育てられました。

牧野さんは子供の頃
病弱で唯一の跡取り息子だったため
それはとても大切に育てられ
好きだった裏山の草木を見ては
毎日観察していたそうです。

先ほどもお話ししたように
この佐川町は家老の領地でもあったため
勉学も盛んに取り入れて
学ばせていました。

牧野さんもそれにならい
寺子屋に通い習字を習い始めましたが
次第に物足りなさを感じ始めます。

すごいですよね。
子供ながらにこれでは物足りないと
思えるのですから。
( ;∀;)

普通なら、勉強したくないとか
学校なんか行きたくない
というのが子供なのに
この頃からすでに
学者の片鱗をうかがえます。

この頃世間は
明治の文明開化の影響で
世の中は大きく変わり始めて
時代の流れを
身近で感じていた牧野さんは

「これからは町人でも
学問を学ばなければならない」
と自ら考え
習字・算術・四書・五経の
読み方を習える寺子屋に入門します。

しかし、この寺子屋も
文明開化の影響で
寺子屋制度が変わり
牧野さんは10歳で「名教館」という
(西洋の最先端の学問を学べる)
学校に移ります。

そこでは漢字のほかに
地理・天文・物理なども
教えてもらっていました。

ですが明治7年
小学校制度が新たにできたため
寺子屋はなくなり
牧野さんも小学校に入学します。

が、牧野さんはこれまでに
高度な学問を習っていたため
今さら一から
五十音「アイウエオ」を習うことは
牧野さんにとっては
到底物足りなく感じ、2年で退学。

小学校で唯一興味が湧いたのは
文部省の博物図で
植物の詳細を知ること。

これで植物の詳細を覚えたそうです。

その後は、本を読んだり
好きだった植物を
裏山で採取したりと
独学で勉強をしていましたが
やがて牧野さんは周囲から頼まれ
約2年間、小学校の先生になります。

この頃、佐川町ではいち早く
学問に英語を
取り入れ始めるようになり
牧野さんも英語を習い始めます。

そしてもっと学問を学ぶには
都会に出なければと
高知県大川筋の五松学舎
という塾に入門します。

やがて牧野さんは
東京に上京することになるのですが
ここまでで
ほぼ独学で自ら考え行動し

周囲から嘆願されるほど学問を極め
先生にまでなってしまう
という並外れた好奇心
には
同じ人間として
とても頭が下がりますよね。

では、牧野さんがなぜ
植物画を描くことになっていったのか
ということについて
詳しくお話ししていこうと思います。

植物画が天才的に
うまかった牧野富太郎の
植物画の特徴とは?

牧野さんは、好きだった
植物学の研究を極めていき
日本にはまだ存在していなかった
植物図鑑を作り

この本を海外へも広め
日本の素晴らしさを
知ってもらいたいと
植物図鑑の出版を志します。

ですが、当時の日本は
植物を描くことは昔からあっても
名前も生体も分からない植物を

誰が見てもわかるように
調べられるように
役立つように描く
ということは
とても簡単なことではなく
また、当時は描ける画家もいませんでした。

そこで考えた末に
絵や音楽など
芸術の才もあった牧野さんは
自分自身で植物の絵を描き
編集し、刊行することを決意します。

いやー本当にすごい !
としか言いようがないですが
今でいえば
オールマイティな才のあふれた人で
子供の頃の教育が存分に活きているのを
ヒシヒシと感じますよね。

牧野さんの植物画は
ロシアの植物学者
マキシモヴィッチの
図解を参考にして描かれたもの
だとされ


その後の牧野さんの植物画を
形づける原型になったと言われています。

牧野さんの植物画を見たことがある人は
分かると思うのですが
とにかく、細かく詳細。

緻密で明解なうえに
まるで解剖図のような描き込みで
線は植物が紙の上に生えているような
柔らかな曲線で描かれているのが特徴
です。

私は最初、こんなに細かく
詳細に描くのには
1日では絶対に無理だし
植物をどうやって
何日も保存して描いているのだろう?

と思っていました。

なぜなら、花や植物は生き物なので
日が経つごとに枯れていきますよね。

ですが牧野さんは
ここでも才能を発揮します。
観察中の植物を長持ちさせるために
ガラスで密閉性の高い
「活かし箱」を発明

その中に植物を入れて保存し
観察をし植物画を描いていました。

さらに、植物への理解を深めるため
もっと精密に詳細に描くために
顕微鏡を購入し
細部まで、観察し

季節ごとに植物を採取し
芽生え、成長期、成熟期、
枯れて果てるまでというように
図鑑を見る人の疑問や
不明な点を少しでも減らすように
注意を払って植物画を描いていきました。

植物図鑑を作るには
印刷の技術も必要になります。

いくら才能あふれる牧野さんでも
印刷技術はなく
当時は植物学そのものが
今のように発展していなかったので


出版を引き受けてくれる書店もなく
出版しても、当時は
売れる見込みもなかったので
牧野さんは自費で出版しようと決意し

当時の主流であった
石版印刷の技術を習得するため
自ら印刷工場で1年間修行
をしました。

その修行の成果は
印刷業者を泣かせてしまうほどの
習得技術だったそうです。

この細密に描かれた植物がですが
当時はどんな画材を使って
描いていたのかということについて
お話ししていこうと思います。

牧野富太郎の植物画
どんな画材を使って
描いていたのか?

当時牧野さんは
どんな画材を使って
この植物画を描いていたのか
?
というと

筆はネズミの毛3本
と言われるぐらいの
穂先がものすごく細い
特注の蒔絵筆や
面相筆を使って描いています。

紙は主にケント紙を使い
彩色は、なんと今でも販売されている
あのウィンザーニュートンの絵の具を愛用!

( ゚д゚)!

ちょっと驚きですよね。
そんな昔からあったんだと
正直思いましたが

当時の日本には
植物の実際の色に
近い色を出せる絵の具が
なかったそうで

多彩な人脈があった牧野さんは
イギリスからこの絵の具を
手に入れて好んで彩色に
使っていたそうです。

これは実際に
見てみてほしいのですが
本当に色が鮮やかで、繊細で
何十年たっても
色褪せていないウィンザーニュートンの
凄さにも感心してしまいますね。

牧野さんが志していた
西洋に負けない植物図鑑
「日本植物志図篇」を
4冊刊行することになったのですが

これは未刊に終わってしまいます。
なぜなら
多彩な才能あふれた牧野さんは
周囲の人たちの才能の嫉妬に巻き込まれ
長い間嫌がらせを受けると同時に

自費で家財を投げ打って
刊行していたこともあり
全てを刊行することができず
4冊だけしか出版できなかったのです。

ですが、この精密すぎる
完成度の高い図鑑は
海外にも賞賛され
とても高い評価を受けました。

そして、牧野さんは生涯
約1700点もの植物画を残し
約2500種もの植物を発見し
命名し日本の植物学に
大きな足跡を残し
この図鑑は今でも慕われ
使われています。

最後に
牧野富太郎さんを調べている中で
とてもいい言葉を目にしたので
一つ紹介したいと思います。

【三年蜚ばない鳴かない鳥も 
蜚んで鳴きだしゃ呼ぶ嵐】

(鳥が三年の間
飛ばず鳴かずでいるが
一度でも鳴いて飛べば
天高く飛び上がり
鳴けば嵐がきたかのように
必ず人を驚かすだろう)

いい言葉ですよね。
絵を描くものとしても
本当にそう思うのですが

それ以外の人
何か目標を持って
頑張っている人にとっては
とても胸に響く
言葉なのではないでしょうか?

この4月からは
朝ドラでも
この牧野富太郎さんのことを
やるそうですので
私も見てみようと思います。

ぜひ、興味のある方は
見てみてくださいね。


今回は【植物画】
風景画にはかかせない植物。
植物画を極めた植物学の父
牧野富太郎とは?

ということについてお話ししました。

ではまた次回!

( ´ ▽ ` )ノ

風景画