
こんにちは!nagaです。
今回は【考え方】
絵は完璧じゃなくて大丈夫。
絵の魅力がもっと出る方法とは?
ということについて
お話していこうと思います。
絵を初めて描いたとき
これから絵を
描き始めてみようと
思ったときなんかに
よくこんなことを思ったり
考えたりしますよね。
自分は絵を描くのが苦手だし
あんなに綺麗に描けないし
上手く描く人みたいに
完璧になんて描けない!
私も最初に絵を
描き始めた時は
毎日のように
こんなことを考えては
ウツウツとした気持ちに
なっていました。
でもそれ
ちょっと考え方違うかも
しれません。
綺麗に、細密に、完璧に
くっきりと描いた絵が
上手い絵とは限らないし
見ている人は
もしかしたらそんな
完璧な絵を見ても
つまらないと思ってる
かもしれません。
なぜか?・・・・
そのことを、これから
詳しく説明していこうと
思いますので
上手く描けなくて
悩んでいる人は
ぜひ参考にしてくれたらなと思います。
ではさっそくいきましょう!
( ´ ▽ ` )ノ
絵は完璧じゃなくても大丈夫。
その理由とは?

なぜ、絵は完璧じゃなくて
大丈夫なのか?
完璧で、綺麗で、細密で
くっきりで
誰が見てもすごい!と
見ただけで思うような
絵を描いた方が
絶対に上手いと思うんだけど。。。
・・・(・・?)・・・
私もそう思っていました。
絵を習うまでは。
でもそれって
とことん細密や綺麗
丁寧、くっきりと
どこまでも永遠と
最終的につめていって
そんな絵がもし
描けるようになったとしたら・・・
それはもう
絵じゃないんですよね。
絵でもなく、イラストでもなく
何なのか?といったら、
写真。
おそらく写真が
1番近い存在になると思います。
現物をそっくり
そのまま描いたら
それはそれで、すごい技術で
描写力もあって
目も肥えていて
本当にすごいと思いますし
尊敬もすると思います。
でも、一つの絵として
見て考えた時
これってじゃあ絵として
描く必要があるのかな?
と思うわけです。
大昔は、写真というものが
存在しなかったので
人物画とか、静物画なんかを
そっくりそのまま描いたら
それはそれは、見る人達には
すごいと賞賛されたと思います。
でも、今は写真というものが
存在します。
別にそっくりそのまま細部まで
絵として描く必要はなく
カメラやスマホで
パシャリと一回押せばいいだけ。
そっくりそのまま
絵を描かない人でも
簡単に同じ風景を
残すことができます。
なので、一つの絵として
そっくりそのまま完璧に
描いた絵は
それはそれで
写実的な絵になる
かもしれないけれど
見ている人にとっては
「だから何なの?」という風に
面白みのない、味のない絵
として見られる可能性がある
かもしれないということになります。
そんなの嫌だ!
( *`ω´)
そうですよね?
私もそう思います。
では、どんな風に絵を
描いていけば
一つの絵としての魅力が
もっと出るのかということを
次に説明していこうと思います。
絵は完璧じゃなくて大丈夫。
絵の魅力を出す方法

例えば
栃木県にある日光東照宮。
きっと訪れたことがある人も
いると思いますが、
この東照宮にある陽明門は
有名ですよね。
この陽明門の12本の柱のうち
一本は逆さまに建てられ
その中のグリ紋という柱の模様も
一つだけ逆に描かれています。
これは魔除けの意味合いと
「建物は完成した瞬間から
崩壊が始まる」
という思想から
わざと完璧にせず
未完成のまま完成させてあります。
京都の龍安寺もそうですよね。
ここの石庭にある石は
全部で15個あるのですが
なぜか、どの角度から石を見ても
14個しか見えないように
なっています。
これも完璧にせず
わざと未完成のまま
完成させているわけです。
なぜ完璧に作ることができるのに
完璧にしないのか?
私達人間は
この世に誰一人として
完璧な完成した人間は
世界中どこを探してもいません。
もちろん、自然も動物も同じです。
だからこそ
完璧を求めたくなるし
完璧を追求したくなる。
でも、人間はわがままなので
常に、完璧なものばかりを見ていると
今度は完璧でないものも見たくなる。
甘いものばかりを食べていると
しょっぱい物も食べたくなる
というのと同じですよね。
(^^;
そういった意識を
常日頃コントロールすることが
人間には難しいので
あえて「不完全なもの」を入れて
完璧として作られています。
なので、絵を描くときも
完璧を目指すのではなく
あえて、自分なりの主観や
遊び心を残したり、入れたりして
絵を見る人を
楽しませることを
考えて描いた方が
その人の描く絵の面白みや
特徴が表れた絵になるので
とても魅力が出る絵に
なるのではないかなと思います。
そして、絵を描くのは
もちろん絵描きさん
本人なのですが
その先には、絵を見てくれる
見る人達がたくさんいます。
この人達にも、一つの絵を
見てもらうだけでなく
参加させてあげることを
考えて描くというのも
いいかなと思います。
絵を見たときに
「はあ〜なるほど・・・。」
という一言で
終わらせるのではなく
見てもらう人に
想像させる時間
参加してもらう時間を
絵の中に残したり
作ったりすることで
その絵の中に入って浸らせてあげて
その時間を楽しませてあげる
ということです。
絵本などは
この楽しませるという意味では
たくさんありますよね。
紐を引っ張ったら
何か出てくるとか
ページをめくると
飛び出す仕掛け絵本とか。
これこそ見ている人を
参加させて、絵の中に
浸らせて楽しませる
ということそのままですよね。
普段、何気なく見ている
テレビ番組もそうです。
「一体このあと
どうなっていくのか!?
正解はCMの後で!」
なんて引っ張る光景を
目しますが、あれも未完成ですよね。
できるだけ長く番組を
見て欲しいから
完璧にしないわけです。
なので、絵を描くときも
この感覚を入れて
完璧にしないで
あえて、見る人に想像させて
あげる時間を与えてあげると
「面白い!」とか「不思議!」とか
「なぜこんな風になっているのか?」
という没入感を与えてあげる
ことができるかなと思います。
なので
完璧に描いた絵は
それなりにとても魅力がある
と思いますが
全然完璧でなくとも
見る人にとってはたくさんの
魅力や面白さがあるし
没入感を与えられる絵なんだよ
ということも
知っておいてほしいなと思います。
今回のまとめ

今回は【考え方】
絵は完璧じゃなくて大丈夫?
絵の魅力がもっと出る方法とは?
ことについてお話しました。
なぜ、絵は
完璧じゃなくて大丈夫なのか?
というと
とことん細密や綺麗
丁寧、くっきりと
どこまでも永遠と
最終的につめていって
そんな絵がもし
描けるようになった
としたら・・・
それはもう絵ではなく
写真になってしまうから。
一つの絵として
そっくりそのまま
完璧に描いた絵は
それはそれで
写実的な絵になる
かもしれないけれど
見ている人にとっては
「だから何なの?」という風に
面白みのない、味のない絵
として見られる可能性が
あるかもしれないということ。
そして、なぜ完璧に
作ることができるのに
完璧にしないのか?というと
私達人間は、この世に
誰一人として完璧な完成した人間は
世界中どこを探してもいないし
もちろん、自然も動物も同じ。
だからこそ
完璧を求めたくなるし
完璧を追求したくなる。
でも、人間はわがままなので
常に、完璧なものばかりを見ていると
今度は完璧でないものも見たくなる。
そういった意識を
常日頃コントロールすることが
人間には難しいので
あえて「不完全なもの」を入れて
完璧として作られているということ。
だから絵を描くときも
完璧を目指すのではなく
見てもらう人に想像させる時間
参加してもらう時間を
絵の中に残したり
作ったりすることで
その絵の中に入って浸らせてあげて
その時間を楽しませてあげる
ということを考えて
描くといいということでした。
頭では分かっていても
実際に絵で描こうとすると
なかなか思ったようには
いかないのが人間ですが
知っていると
絵を描くときの手助けには
なるかなと思うので
ぜひ参考にして見てください。
ではまた次回!
( ´ ▽ ` )ノ